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保育の神
埼玉県深谷市に「保育の神様」とよばれる斉藤公子さんという方がいる。
「リズムあそび」という独自の保育法で健常者のみならず、
多くの障害をかかえる子供たちを自立へ導いておられる。

10年ほど前、重度の障害をかかえるオランダの子が斉藤さんのもとに訪れた。
名前はトスカ。1歳にも満たない女の子だ。
チューブで鼻から栄養を補給し、食事をとることはおろか、
目もほとんど見えない状態だった。
斉藤さんが確立した「リズムあそび」は「金魚運動」「両生類ハイハイ運動」など、
床に寝そべって、音楽の変化に合わせて体を動かすことで、
障害をかかえる子供までもを心身ともに元気にしてきた。
しかし、トスカの場合はそれができない。
斉藤さんはまず、目が見える状態にしたいと考え、
向き合うようにして抱きかかえ、「トスカ、トスカ」とやさしく呼びかけながら、
自然にクルクル回ってしまうトスカの目と視線が合うまで気長に揺さぶった。
やがて目が合い、にっこりと微笑むようになった。
2ヶ月ほどするとおっぱいを飲むようにまでなった。
しかし、トスカの母親は第2子を妊娠中で、トスカをつれて帰国。
聞くと、両親とも忙しく、トスカを部屋に寝かせっぱなしの状態だという。
このままではトスカの可能性は閉ざされてしまうと思った斉藤さんは、
自費で3度オランダへ。
一日中、トスカのそばで歌を歌って聞かせたり、
寝返りや、金魚運動をさせた。
第2子が生まれて10ヶ月になった頃、トスカの一家は再び来日。
トスカが2歳と10ヶ月になるまで、斉藤さんのもとで生活をした。
斉藤さんはトスカ一家に自宅を提供し、自分はトタン屋根の一軒家を借りた。
肉体的な疲労も重なり、すでに70歳半ばだった斉藤さんはいつ倒れてもおかしくない状態だったが、
「トスカのことは最後の務め」という一念で乗り越えた。
オランダに帰る前、ある優秀な小児科医の協力で、
トスカに口から食物をとることを教え、鼻のチューブを抜き取り、
元気な女の子に成長している。トスカは現在11歳。
重度の障害児であったことを考えると、医学の常識では考えられない、
劇的な回復をみせているという。
感激したトスカの両親は、現在斉藤さんの療育法を取り入れた施設をオランダに開設し、
同じような病気を抱える家族のための相談や支援にあたっている。

斉藤さんの情熱と献身的な愛につよく胸をうたれた。
そしてその斉藤さんの想いが、遠く海の向こうへ波及し、
愛のこだまとなって響き渡っていることに感動をおぼえずにはいられない。
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[2008/05/02 21:49] | 偉人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
人間力
全日本教職員連盟委員長の植田宏和氏は、
「これからの課題は教師となる人を大学の教職課程で技術はもちろんのこと、いかに人間力を養って現場に送り出すかである」と語っている。
同じ話を、ある先生がすると子供の心にスッと染み込んでいくのに、
別の先生が話すと反発されるというようなことがしばしばある。
指導案に沿って授業をやりさえすれば子供は理解するというものではなく、
授業のうまい先生というのは、授業力はもちろんあるが、
その人自身に人間力が備わっていると。
ともすれば、人間力というものを、どう定義するかがポイントだろう。
大きくとらえれば「人間的魅力」ということであろうが、
人間力を養おうとするならば、その人自身がはっきりと定義を持ち合わせていなければならない。
ある本によると「知力、体力、活力、応用力、コミュニケーション能力の総合力・バランス」
というような表現をされているものもある。
本年度、人間力向上委員会委員長としての自分の定義は
「人を尊び感謝する、自分より大切なものがあるという変えてはならない心を守る力と、
現状に疑問をもち、変革を求める変わろうとする力、この2つの力の融合」
としている。
理事長所信を読ませていただいたときから、しっくりきた。

冒頭の教師だけではなく、人間力の追求はあらゆる人にとってのテーマだろう。
自分にとっては今一番必要な追求かもしれない。
だからこそ、本年度、この委員会をあずからせていただいたことに改めて感謝したい。
[2008/03/14 18:39] | 偉人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
リーダーシップ
ソニー創業者 井深 大(いぶか まさる)氏の話。
井深氏が社長であった時に、ソニーに最新鋭の設備の厚木工場ができた。
世界中から大勢の見学者が訪れた。
一番の問題だったのは、便所の落書きであった。
会社の恥であるのでやめさせるように工場長に指示をした。
工場長は徹底して通知した。
しかし落書きは一向になくならなかった。
そのうちに「落書きをするな」という落書きまで出てきて、
もうしょうがないと思いあきらめていた。
しばらくして、工場長から電話があり「落書きがなくなりました」というのだ。
どうしたのか尋ねると、便所掃除のパートにきているおばさんが、
かまぼこ板を3枚連ねた看板を貼ったのだという。
そこにはこう書かれていた。
「落書きをやめてください。ここは私の神聖なる職場です」
これでピタリと落書きがなくなった。
井深氏はこれまでリーダーシップとは上から下への指導力、統率力と考えていたが、
その日を境にリーダーシップとは影響力であると考えを改めたそうだ。
そう、どんな立場でもリーダーシップは成り立つ。
必死で何か「事」にあたり、がんばっている姿は、誰かが見ている。
その情熱によって人が心を動かされたとき、「事」の中でリーダーとなる。
パートのおばさんが便所で、誰にも真似ることのできないリーダーシップを発揮したように、
JCにもそんな場がたくさんあると思った。
[2008/02/22 22:05] | 偉人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
神に祈る
京セラが年商5億だった頃、IBMから1億5千万円の仕事を受注した。
稲盛氏は金額もさることながら、IBMが京セラのような中小企業の技術を認め、
技術水準の高い仕事を任せてくれたことに奮い立った。
昼夜問わずの作業だった。
ある日の深夜、工場に激励にいった稲盛氏の目に、
工場の片隅にうずくまる社員の姿がとまった。
社員は「今日もうまくいきませんでした」と泣いていたという。
稲盛氏は「神に祈ったか?」と言ったらしい。
人力の限りを尽くしたあとは祈るしかない。
そうしたときに天地は不思議な力を与えてくれるのだと。
この上ない人事を尽くした者にこそある説得力だ。

自分は神に祈るほどの人事を尽くしたことがあるだろうか。
つくづく、まだまだである。
[2008/02/15 12:34] | 偉人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
三浦綾子さん
作家の故三浦綾子さんは、その生涯を閉じるまで、数え切れないほどの病魔に襲われた。
24歳で肺結核、その後も脊椎カリエス、喉頭ガン、大腸ガン、パーキンソン病・・・
しかし、三浦さんは「これだけ難病に押しかけられたら普通の人なら精神的に参ってしまいますね。」と笑顔でおっしゃっていたそうだ。
「神様が特別に任務を与えられたのだと思っています。ひいきにされているとさえ思うことがあります。」
自分なら絶対に耐えられなかったと思う。
ましてやこんなことを笑顔で答えるなどとても・・・

現状とどう向き合うか。
自分の身の丈にあった、自分なりのできることがまだまだたくさんあるのだと、
三浦さんの話をきいて感じる。
なに不自由なく健康な自分たちが、もっともっとできることを模索し、
行動へ移すことができないわけはないだろう。

三浦さんの残した言葉。
「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満をを真っ先に口から出し、文句を言い続けるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜ私たちは不満を後回しにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。」

まずは、健康で、なに不自由ないこの身に感謝。
[2008/02/13 00:42] | 偉人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
いい人生
オーストラリアの心理学者アドラーは、
「人生の意味とは他者に尽くすこと、他者への関与、他者との共同にある」
と述べている。
では肝心の個人はどうなるのか?と反論する向きもあるだろう。
しかしアドラーは、
「私たちは人のために貢献するという目標があるからこそ、自分自身を最良の状態に置こうとし、社会感情を高めるために自分を訓練し、実践によって習熟し、自分の能力を発達させていくのだ」という。
いろんな意見があると思うが、自分はまさにそうありたい。
藤尾社長の「生まれたときに握っている封書」のお話ではないが、
人生を死という形で終わりをむかえるとき、自分は何を思うか考えるときがある。
誰もが本当にいい人生であったと思いたいに違いない。
人に頼られ、人のためにどれだけの貢献ができたか。
どれだけそんな自分でいられたか。
それを「いい人生」の尺度とする人間でありたい。
それをこれからの修練の原動力としたい。
[2008/02/08 01:56] | 偉人 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
人間の賞味期限
月刊「致知」の3月号が届いた。
本日ブログのタイトル「人間の賞味期限」に不快感を持たれたかもしれない。
「致知」3月号の巻頭にあったイエローハット鍵山相談役のエッセイタイトル
「人間にも賞味期限がある」からいただいた。
内容は
『最近の食物の賞味期限を偽る事件に対して、闇雲に敏感になるあまり、
食物を大変な苦労をして作ってくださっている方々への感謝の気持ちを忘れてはならない。
地球に住む人たちすべてに十分に行きわたらない貴重な食糧に対して、
自分だけ「新しくて安くておいしいもの」をのぞむことは、無意識に、
他者への思いやりに欠けた心になってしまうと危惧する。』
というものだった。
賞味期限を偽って販売する業者のモラルのなさは許しがたい。
しかし昨今、「もったいない」と思うことが自分自身、少なくなっていると感じる。
あらゆることに感謝する心を忘れてはいけないと思った。

そして人間の賞味期限。
『人から信頼され、かつ社会に貢献しているかどうか。
100歳を超えても多くの人に頼りにされ、お手本となる生き方をしている人は、
その期限を余している。
一方、自分だけよければそれでよい・・・とする生き方をしている人は、
期限切れといえる』

鍵山相談役は、「賞味期限の切れている人間などいない」
と言っているのだと自分は思う。
人を尊び、感謝し、人の幸せに役立つことを自らの喜びとする心は、
万人が持っているからだ。
忘れかけているなら取り戻せばいい。
片隅にあるなら根幹とすればいい。
何歳であろうと、今日この日からでも、決して遅くはない。
[2008/02/04 23:14] | 偉人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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